2012年10月22日

本州最東端 宮古市訪問 & 全国都市問題会議 10/9~10/12

Filed under: 活動報告 — hayashi @ 2:54 PM

宮古市訪問 全国都市問題会議参加 10/9~12

昨年311日午後246分東日本を襲った地震・津波で被災した宮古市を訪問しました。

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宮古市は本州最東端 魹ケ﨑(トドガサキ)≪北緯393248秒、東経142421秒≫を有し、大間町(最北端)・串本町(最南端)・下関市(最西端)と共に四端会議構成市です。昨年10月大間町本年3月串本町を訪問、5月来関された山本市長と面談今回の訪問となりました。108:30宮古市長を訪問その後市内視察。田老地区を始め10ケ所を越える漁港が損害を受け、早期復旧の為下関市は港湾建設技士を派遣しています。

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田老地区はTV報道にも何度も取り上げられた景色が見られます。明治29年、昭和8年にも大津波で壊滅的な被害を受けながらも先人の不屈の精神と郷土愛でこれを乗り越えこられました。先人訓は、石碑となり随所に残っています。魹ケ﨑灯台への道すがら≪これより先へ家を建てるな≫の一文もありました。その姉吉地区にH8~9に宮古市がキャンプ場、岩手県が水洗ユニットトイレ(H10)を整備していましたが、キャンプ場は流失しました。水は最高40.5m迄走るように上がってきたといいます。

都市問題会

『都市の連携と新しい公共』-東日本で見えた『絆』の可能性-と題して行われました。最も印象深かったのは、『文化による地域復興を目指して』と題した報告。報告者は、岩手県が生んだ宮沢賢治の一文を紹介『かつて我々の師父達は乏しいながら可なり楽しく生きていた そこには芸術も宗教もあった いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである。宗教は疲れて近代科学に置換され しかも科学は冷たく暗い』

社会抱摂⇔孤立しがちな人間を文化活動等により社会との絆を保つ施策

観光文化政策⇔フランス ナント市に倣え⇒ナント市では新たな町興し施策に アートスペース、集中コンサート、三大映画祭等を展開。結果、有為な人材が移り住み、経験とネットワークを活かしてクルーザー等の開発が支持を受け、ナントモデルを創り上げました。

これからの街づくりは、国家・中央の為の人づくりから地域再生・発展に寄与する人づくり。文化の自己決定能力が不可欠で、個人の文化資本は20歳までに蓄積される。災害復興も基軸は同じで、単に補助を得て街並みを復元するのでは・・宮古をナントに釜石をビルナバ、盛岡をボローニャに』と提案された。

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