2021年8月8日

Filed under: 未分類 — hayashi @ 10:26 AM

市各部局ヒアリング 

 

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◆上下水道局⇒高尾浄水場から梅光の坂を下り、竹崎園田線を東は田中町、西は豊前田迄 給水本管を耐震化する工事が続行中。愈々梅光の坂・西入江⇔豊前田が近々スタートしそうです。

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◆ITビル建設工事進捗状況⇔次期9月定例会へ配置図が提示される模様です。当該敷地(5000㎡)内に敷地内増築(別棟)で先ず令和4年に駐車場(立体)棟、令和5年4月にはオフィスビル(敷地内駅寄)が、その後 夢広場側に分譲マンションが計画されているようです

 

第二回『思想史・制度史研究会(地域文化研究会)』追記

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セミナーでは地域課題として、学生時代に居住する「下関」の歴史について理解を深める教育・研究活動を提唱されました。

萩藩主毛利敬親に注目し、

①維新において防長全体が一丸となるエネルギーは、天保改革時に藩主がみずから倹約の姿勢を身をもって示し、さまざまな社会事業を行い、村田清風はじめ適材適所の人材登用を行ったことに起因するのではと述べられました。

②白石正一郎の拠点竹崎周辺に維新の本来の「発祥の地」があるのではとの見方から、古地図と現在の地図との比較も交えて、地域の歴史を現代の観点から立体的にとらえる試みも提案されました。

 

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◆当方よりは、維新発祥の地『櫻山神社』総代の立場で、『まさにその竹崎・伊崎新地エリアに位置する櫻山神社の重要性、および、幕末のわずか10年間程度(とくに西暦1860年代)にきわめて重要な歴史が詰まっており、下関の地で志士の息吹や史跡に接することが出来ます。学生のみなさんにはぜひこれを積極的に学び、下関への愛着を深めてほしい』とコメントさせて頂きました。

◆因みに長州藩が維新に奔走できた要因として越荷方、撫育方が挙げられました。

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●越荷方設置跡の碑が南部町にあります。其処では下関を通る他国の廻船の越荷を抵当にした資金の貸付け、越荷を買取り委託販売も行い、萩(長州)藩は洋式武器を購入、幕末に強い発言力と実力を備えることになりました。

●撫育方は防長三白(米・紙・塩)の生産力向上に努める役職。収入は特別会計で、通常収入とせず藩の手元金として置いておかれました。政治革命にしろ、安全保障にしろ、先立つものはイデオロギーや思想と共に資金力であり、しっかりした財政的基盤が肝要です。長州藩はまさにそれらにおいて盤石であったため、役割を果たせたといえるのではないでしょうか?

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